講道館入門〜段位取得
明治36年、仙台二中を卒業した三船久蔵十段は、同年7月に嘉納治五郎が館長を務める講道館に入門します。
当時、日本中から柔道の達人が集まってきた講道館の中では、身長159cm・体重55kgの三船久蔵十段は豆みたいに小柄な体格でした。
あの小柄な身体でどうして・・・
人々を驚嘆させた鋭い技は、たゆみない練習に加え
力学的な分析によって編み出されたものだった。
小柄な三船久蔵十段は、日々の稽古を積みかさねて、異例の早さで段位を習得しました。
入門して3ヶ月後の1904年(明治37年)に初段に昇段し、その3ヶ月後に2段、さらに4ヶ月後には3段、
そして、3段に昇段してから1年後には5段になります。
三船久蔵十段は、講道館に入門してからわずか4年半で5段まで昇段したのです。
その様は「講道館の風雲児」と呼ばれました。
そして、7段に昇段した時に三船久蔵十段が唯一無二の使い手である決まり手の一つ「空気投げ(隅落とし)」を編み出し、 昭和20年(62歳)にして、ついに講道館柔道最高位の十段に昇段したのです。
しかし、その影には日々の練習があったことを忘れてはなりません。
事実、明治36年(入門)から昭和39年(逝去の前年)までの62年間、稽古を一度も欠席したことはありませんでした。