三船久蔵十段の幼少時代
広く豊かな風土で育った三船久蔵十段の幼少時代は、とてもわんぱくなものでした。
いたずらっこで粗めの性格の久蔵少年は、他の子供を木に縛り付けたまま忘れて昼寝をしたり、
柿・梨・リンゴなどの果物を他人の畑から勝手にとって食べ、時には畑の食べ物を夜襲するなど、俗に言う「悪ガキ」だったのです。
しかし、力を弱い者いじめに使うことは決してなく、少年時代を自然の中で自由に過ごしました。
三船久蔵十段の父、久之丞 氏は、わんぱくな三船久蔵十段を見て社会勉強のために郡役所で仕事をさせました。
本当は医者になって欲しいと思っていたので、親としては少し残念だったかもしれません。
郡役所で三船久蔵十段を待っていた仕事は「給仕」(お茶汲みなど)です。
もともとわんぱくだった久蔵少年にとって、これは絶えられない仕事だったことでしょう。
結局、2週間で仕事を辞めてしまったというエピソードも残されています。
ですが、ここから勉学に勤しみ、受験者1400人に対し合格者150名の難関を超えて仙台二中(宮城県)に進学します。
そして、人生を変える柔道とめぐり合うのです。