現在の岩手県久慈市の様子(三船十段記念館から望む)
生まれ
三船久蔵十段は、1883年(明治16年)4月21日に岩手県九戸郡久慈町(現岩手県久慈市)で米問屋を営む三船久之丞 氏の三男として生まれました。
当時は、明治維新による改革から行政機構はめまぐるしく変化している時代で、久慈町も同じく変化の中にありました。
九戸郡は、59村23役場から58村10役場に編成替えとなり、実際の生活範囲外から住民の代表が選出されるなど、住民の声が行政に届きにくい時代でもありました。
経済はデフレのため、農村部は深刻な不況にありながらも、三船久蔵十段は、地方の豊かな風土の中でのびのびと育っていきます。
現在では、岩手県久慈市は人口約4万人を有する沿岸の都市となりました。市では、三船久蔵十段が育んだ「技と心」を語り継ぐため、柔道のまちを標榜して三船十段記念館を設立し、スポーツ少年団を運営するなど柔道の道を志す子供たちの指導に力をいれています。
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